VISION OF REDBARON

二輪販売店に社会性を

杉浦社長は、ヤマハ発動機が人的にも日本楽器から分離した時に募集した社員としての第一期生。
昭和40年の入社だった。

輪販売店に社会性を イメージ当時のヤマハは、当然マンパワーが不足しているうえ、会社の業績は年々倍増していたから、月に残業が200時間もあり、所定の月間労働時間(約170時間)を上まわるほど。
社員寮には、寝るのと洗濯するために帰るだけだったという。

経理といっても、おカネの勘定や帳簿に向かっているだけではなく、[販売管理]という畑だったために、販売に関するメカニズム、カネの動き、むろんノウハウなども知れる立場にあった。
そして地方の営業所に転勤になると、どこにどんな規模の店を建てて、人を何人、クルマを何台置いて───というような総合企画を一手に引き受ける。

まだ、大学を出て入社後数年しか経たないというのに、このような大役をおおせつかったわけだから、本人にとってはおもしろくて仕方がない。
実質的には[支店長代理]のような役目だったわけだ。
むろん、そこで本人が学ぶものは大きかったはずだし、「ヤマハ第一期生」という誇りも支えになったという。

昭和47年、ヤマハが販売を促進するために「新設店構想」という政策を掲げ、新しいタイプの販売店をつくり、つくる人を援助しようということになった。
それに対して、経理としてどう参画するかと検討していた段階で、[企業としての制約]というカベにぶつかってしまい「それならいっそ、自分がやってやろうか........」。

こうして「ミイラ取りがミイラになったような感じで」ヤマハを退社。
実家のある岡崎市の1号線沿いに2輪車販売店を設立することになったわけだ。
「そのときの考えとしては、当時の販売店のやり方では、ユーザーのニーズに応えられないと思ってました。
まずバイク屋さんは、規模が小さくて商品を置く台数が限られてしまうから、お客さんが多くの商品のなかから選択し、選べるというショッピングの楽しさがないですね。

それと、サービスの面でも[技術優秀の店]という看板を出して「直せない店じゃない」と訴えてはいますが、本来やらねばならない有級(資格のある)メカニックがやっているわけではない。
2輪車は認証工場で整備を受けなければならないという運輸省の行政指導に反してる。
さらにバイク屋さんは法律行為に弱いから、[保証]ということを文章化するのが苦手で、お客さんに信用を付与してない。
業者として、社会的責任をとる形ができてないわけです。

大きく分けてこの3つがオートバイ屋さんに足りないところだから、それを払拭しよう───それが開店以後、われわれが営業を展開していくうえでの基本みたいなものになりましたね。
つまり、社会性の欠けた2輪販売業者に、いかにしたら社会に認められ、市民権が得られるかというひとつの姿勢表明です」。

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